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PROFILE second

小学生の時に習ったエレクトーンをきっかけに音楽を始める。
最初に作った歌は「ぷりげの歌」。
100通りの「ぷりげ〜」という声をテープに吹き込んだ作品だった。
4年生の時には「あそこの歌」を発表。「あそこもめよ もめよ もんでしまえ」という
キャッチーなフレーズは、クラス中に一大「あそこブーム」を巻き起こす。
その後、県内トップの進学校に進むも光の速さで落ちこぼれる。
勉強することに価値を見出せずひたすらエレクトーンを弾いて曲を作り、親に怒られる日々を過ごす。
高校で初めてバンドを結成。バドミントン部のメンバーとバンドを組み、その時バンドで奏でる音楽の楽しさに目覚める。
卒業後、大阪芸術大学舞台芸術学科に進む。
そこでバンド活動を本格化するつもりが、なぜか演劇に目覚める。
舞台人を目指しバリバリの体育会系劇団に所属。
そこの鬼座長に殴られ、蹴られ、罵倒され、人権を無視したような4年間を過ごす。
そこで身につけたスキルは多岐にわたり、今の表現方法や歌詞制作に生かされているようないないような。
特に小道具、大道具スキルは元来の手先の器用さも相まってプロ職人のレベルに。
現在そのスキルは家庭内DIYでおおいに発揮されている。
4年の演劇活動で心身ともに疲弊し、舞台人として生きていくか迷っていた頃。
ミスターチルドレンの曲を聞き「俺だってクロスロード作れるわい!」と謎の自信に満ち溢れ音楽活動を再開する。
再びメンバー探しを始め1年かかって2人のメンバーと出会う。
そしてエレポップ3人組ユニット「epidemic」を結成する。

担当はプログラミング&キーボード。
PC98という超絶古いマシンを使いステージ上で同期させて演奏するというスタイルだった。
結成1ヶ月で梅田HeatBeatスーパーオーディションに出場。1500組の中からグランプリを獲得。
それ以降、梅田HeatBeatを運営する「雪印乳業」が母体の音楽事務所の第一号アーティストとして活動を始める。
活動開始からわずか8ヶ月で異例の1000人ワンマンを成し遂げ、その時に制作した3曲入り限定カセット1500本が1週間で完売となる。
活動開始から1年。ポニーキャニオンと契約し結成からわずか2年でメジャーデビューを果たす。
デビュー曲はアニメ「マイアミガンズ」のED曲となる。
東京に活動拠点を移し、順調にアーティスト活動を続けるも、劇的には売れず。
二枚目のアルバムの制作に入ろうかという時に、事務所の親会社である「雪印乳業」がかの有名な食中毒事件を起こし、子会社が軒並み倒産していき、その煽りをうけ音楽事務所も解散となる。
ポニーキャニオンとのメジャー契約は残っていたが、事務所が存続しない中で、契約を履行することは難しく契約途中で終了となる。
大阪に戻り活動を再開するも、メンバーのモチベーションは続かず、その後1年で解散。
「epidemic」は5年の活動期間を終えた。
何もかもなくなった29歳。
半年引きこもって完成させた楽曲デモを音楽事務所のアルファベット順に片っ端から送る日々。
その中で最初の「a」の項目、avexのA&Rから連絡が来る。
最初に送った1曲目が「浜崎あゆみ」のシングル曲に決まったとの連絡だった。

その日はまさに長男の出産で病院に付き添っていた時だった。
avexの新人開発部に所属し、作家活動が始まる。
それと同時に大阪スクールオブミュージックにて作曲講師の任につく。
以降、作家と講師の2足のわらじで進むことに。
作家生活5年め、作家としてのさらなる飛躍を求め現在の「SCOOP MUSIC」に移籍。
以後12年間、メジャーシーンの第一線で楽曲提供を続けている。

って、長えよ!!

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!! m(_ _)m

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